最新情報

「しむら」の歴史を更新いたしました。

会社概要に志村家の歴史について更新させていただきました。
2019年11月2日にお墓参りに行ってきました。
その時に、志村家の歴史について、教えていただきました。

<創業の歴史>
戦国時代のこと志村家のルーツは甲州武田氏の家臣であったと伝えられています。 実際に武田家家臣に「志村又左衛門」という人物がおり、有名な「長篠の合戦図屏風」で、志村又左衛門の姿が描かれております。 「長篠の戦い」では、織田・徳川連合軍の火縄銃に苦しめられ、武田家は多くの重臣たちを失い 武田家は求心力を失っていき、天正10年(1582年)3月に滅亡を迎えることになりました。 当時志村家は、武田家の勘定奉行として支えておりましたが、武田家滅亡と同時に、厚木の地に逃れます。 そこから、勘定奉行のノウハウを生かして、商人として、商いを始めます。 その時の屋号は「油屋」。 油屋の屋号は江戸時代に菜種油などをしぼる仕事をしていたことに由来しています。 電気もなかった時代、夜のあかりに使う油は、生活に欠かすことのできない大切なものでありました。 「久保の油屋」といえば、近郷に聞こえた大家であったと言われています。 志村家には鎌倉で落とした屋号名入りの風呂敷が間もなく(次の日)飯山まで届けられたというエピソードまで伝わっています。

<創業から現在まで>
江戸時代初期に厚木で菜種油問屋「久保の油屋」という屋号で創業しました。 神奈川県厚木市一帯に名を馳せた、電力の代わりの行灯や、食用油の商いで成功をおさめた江戸職人でした。 しかし、1946年にGHQによる財閥解体、農地改革を機に、志村家の油問屋という商いをやめざるを得なくなりました。 そんな中、志村泰代が、女性で初となる、明治薬科大学の卒業生となり、薬剤師としての道を歩むことになり、横浜の天王町の地でしむら薬局として開業し、繁盛しました。 また、同じ横浜の星川という地では、泰代の義理の弟が、元氣堂という薬剤店を開いたのですが、関東大震災や戦争による空襲で焼け野原になってしまいました。 泰代の薬局は、関東大震災により、一帯は焼け野原となり、泰代は、高知県に疎開する事となりました。現在は、泰代の親戚により、元氣堂調剤薬局という名で、薬局が営まれています。 株式会社しむらは、志村順子が、『益子焼しむら』として1972年に創業し、1988年に『株式会社しむら』を設立しました。 その後、順子の娘である川﨑雅代が、油屋のルーツを元に、現代に生きる人々の役に立ち、人々の健康、美容に貢献する事を志として、新たなる分野である、化粧品会社として道筋をつくりました。

詳しくはこちら

PAGETOP